日に二、三杯は口にする珈琲。 はじめて口にしたのは幼少の頃、母が作ってくれた甘くクリーミーな珈琲だったのをはっきり覚えている。 ほどなくして喫茶店で出された珈琲ゼリーの苦みに出合い、そこから長い年月をかけ”珈琲”という魅惑の飲み物に少しずつ引き込まれていった・・・
”ドリップコーヒー”という洒落た珈琲にはじめて出会ったのは十代の頃、バイト先の喫茶店で嗜んだそれが最初だった。 ネルドリップ式と呼ばれる布フィルターで抽出された珈琲には、スッと鼻を通る香りといくつもの味の層があることを感じた。
当初は「たかが珈琲」と軽視していたのだが、ある日常連客の一人が清算の際に「いつもと味が違う」とクレームを入れてきた。 聞けば「余計な味が出ている」とのこと。 言われて気づいたことなのだが、その時淹れた珈琲は注ぐお湯の回数を一回多くしていた。 舌の肥えた、いや、こだわりを持つ人間の感覚とはそこまで研ぎ澄まされているのかと、その日以降淹れ方にも細心の注意を払うようになった。
珈琲を時間潰しの”道具”として注文する客もいれば、味のレイヤーを小説のページの如く堪能するために訪れる客もいる。 一見してその違いを見抜くことは難しいが、時折モノの核心に触れることのできる人間がいるということを知っておくだけでも、打ち込む姿勢に変化が生まれるのはアーティストも同じこと。 何かを届けるには、相手に対し常に「気くばり」が必要なのである。
そんなこんなで、自ら焙煎した美味しいスペシャルティーコーヒーを堪能しつつ、今日もペンを走らせています。
いつもありがとうございます。
喜人