プロローグ

「昨日未明、六本木の路上で発見された身元不明の頭部に関する猟奇事件で、新たな動きがあったようです。 現場の山口レポーター、お願いします」

「はい、こちら現場です。 先程あった警察の発表によると、被害者は犯罪集団Σの構成員、富樫賢治38歳。 一昨年の銀座宝石店強盗殺害事件で逮捕収監され、その後看守を殺害した後に船を使いフィリピンへ逃亡。 今年の秋頃に偽造パスポートを使い再入国したものと思われます。 死因については鋭利な刃物による頸部の切断で、先月から発生している類似事件との関連性について現在捜査を進めると共に、目撃者の情報提供を求めています」

ピッ。

「またか・・・ 厄介者がこうしていなくなることはある意味喜ばしいことなんだろうが、街の真ん中で生首には出くわしたくないもんだな。 先月から3週間で5人、それも極悪人ばかり。 捜査一課の浦田から聞いた話じゃ、どの遺体も手紙のようなものが口に詰め込まれてたんだとさ・・・」

「手紙・・・ ですか?」

「ああ、どうも血で何かが書かれていたようなんだが、唾液で滲んで何が書かれてたのかは分からなかったらしい。 この街のどこかに仕置き人でもいるのかねぇ~」

「仕置き人? 何ですかそれ」

「そうか、世代的に知らないか~。 わかりやすく言えば悪人から酷い仕打ちを受けて死んでいった者に変わって敵を討つ正義の味方・・・ みたいな感じかな? 昔TV時代劇であったんだよ」

「へぇ、だとしたら本当にいるのかもしれませんね」

 

第一話「我が名は暁」

 

そこは大都会新宿。 そびえる高層ビル群を見上げるように佇む、今となっては珍しい赤レンガ造りの雑居ビル。 錆付き色褪せたテナント募集の看板が哀愁を漂わせている。 そのビルの5階、薄暗い廊下の突き当りにこぼれる明かりが一つ。 そこに鎧塚探偵事務所はあった。

神保茜はこの事務所に勤める若手の行政書士兼アシスタント。 頭脳明晰でモデル顔負けの容姿を持つまさに”才色兼備”を絵に描いたような女だ。 そして背もたれの高い椅子に深々と腰を落とす貫禄のある男が一人。 昭和平成を熱く駆け抜けた漢、名探偵鎧塚進次郎その人である。 

「ボス、サンライト証券の佐野さん控訴取り下げたそうです。 報告書ここに置いておきます」

「ん、ありがとう。 あれだけ証拠挙げられてもなおあの粘り・・・ 才能の使い道を完全に間違った奴だったな。 ふ~む・・・」

持ち前の負けん気と推理力でどんな難問でも解決してきた進次郎は、”新宿の黒豹”と謳われるだけあってか、モニターを鋭く睨む目もまさに野獣そのものだった。 茜は去り際にふと気になって覗き込んでみると、画面上にはひしめき合うほどに並んだグラビアアイドルの水着画像が。 

「・・・」

事務所代表兼、留守番係では仕方のないことだと黙って割り切る茜だった。

「茜ちゃん、悪いんだけどコーヒーお願いできるかな? あっ、今日はグァテマラでね」

「はい」

進次郎は見た目同様熱い性格の持ち主で、事務所内では大声を張り上げることもしばしば。 ただ、銘柄コーヒーを飲む時は大抵気分がいいと決まっている分かりやすい男でもあった。

カリカリカリ・・・

狭い事務所での長時間デスクワークは精神的疲労も多い。 こうして給湯室でマメを挽くことが茜にとって唯一の癒しとなっていた。

「んん~、挽き立てのコーヒーってホントいい香り・・・」

ガチャ。

「ただいま~」

汗をぬぐいながらくたびれた様子で事務所へ入ってきたのは所属探偵、井出嵐だった。 それを見てモニターからひょっこり顔を出す進次郎。

「おかえり、井出ちゃん! 悪いがもう一回だ。 さっきのニタイ(第二対象者)、実は妹さんの方だったらしい」

「うそぉ~っ! マジですか?」

「マジだ。 家族の確認で分かった」

「双子の場合ってこれだから~・・・ て言うか! そういうの戻る前にメールよこしてくださいよ」

「ん? 2時間くらい前に送ったぞ。 えーと・・・」

首を突き出し両手の人差し指でぎこちなくキーボード突く進次郎。

「ボス~? また違う宛てに飛ばしたんじゃないでしょうね?」

「井出ちゃんスマン・・・ 家内だった」

お茶目に舌を出すオヤジの顔を見て、井出は無言のままがっくりと机に突っ伏した。

「もぉ~、いい加減メール送信くらいできるようになってくださいよ~・・・」

「おかえりなさい。 井出さんもいかがですか? こういう時は息抜きが大切ですよ」

コトッ。

目の前に出されたコーヒーの甘く芳ばしい香りが事務所内を駆け巡った。

「ありがとう、茜ちゃんはほんとに優しいね~。 じゃあ戻る前に一杯ご馳走になりますか・・・ ところで涼さんまだ戻ってないの? 調査は午前に片付けて午後からは内勤にするって言ってたんだけど」

「そういえばまだ連絡がないな・・・ 調査が長引いてるんじゃないか? ああ、ここに置いといてくれるかな」

「どうぞ。 しかし珍しいですね、日下部さんが連絡してこないなんて」

公安出身のベテラン探偵、日下部涼は特に規律に厳しい性格の持ち主。 経過報告を怠ったことなどこれまで一度もなかっただけに、一同揃って彼のデスクへ顔をやっていた。 

プルルルル・・・

一本の電話が入り慌てて受話器を取る茜。

「はい、鎧塚探偵事務所です。 ・・・あっ、日下部さん。 ・・・はい、います。 代わりますね。 ボス、日下部さんからです。 内線1番でお願いします」

一口目をすすりかけていた進次郎は、怪訝そうな表情で受話器を耳にあてた。

「俺だ。 日下部ちゃん今どこよ。 ・・・何、櫻子が? ・・・ふん・・・ で、今どこだ・・・ ・・・ ・・・そうか。 詳しくはまた明日聞かせてくれ。 わかった、お疲れさん」

ガチャ・・・

受話器がそっと戻されると事務所内に張り詰めた空気が流れた。 進次郎は好物の一杯を堪能することなく喉へ流し込むと、デスクに肘をつきうつむきながら話し始めた。

「櫻子が事故に遭った・・・ 日下部は付き添いで病院にいるらしい」

「えっ! 櫻子さんが?」

「何があったんですかボス」

「日下部の話によると、クラブオーナーの三崎の素行調査に向かった櫻子は尾行に失敗。 挙句櫻子はバイクごと車で追突され転倒したそうだ。 病院の診察では左肩打撲と左半月板損傷、全治3週間の怪我という結果だったらしい・・・ 残念だがしばらくの間櫻子は休むことになりそうだ」

常日頃”依頼最優先”の精神を掲げる進次郎だったが、厚い信頼を置く事務所のメンバーは家族も同然。 表向きは代表としての冷静さを装っているものの、目の奥の動揺は隠しきれていなかった。 心配そうな顔で井出が口を開いた。

「三崎の調査、櫻子さんには少々無理があったんじゃないですかね。 いや、女性だからとか言うわけじゃないんですけど、対象が複数人となるともはや興信所扱いのレベルですし、相手が構成員の疑いのある人間じゃ・・・ そりゃ俺でも手を焼きますよ」

「私も井出さんの意見に同意です」

「批判はごもっともだ・・・ だが、今回別行動を取っていたはずの日下部と櫻子が偶然にも現場で合流したことで、対象の素性がかなり浮彫になったことは大きな成果だろう。 後は警察に任せるとしよう」

「ところでボス、明日からの櫻子さんのお仕事はどうします?」

「俺が代わりにやるよ。 ちなみに今月のスケジュールはどうなってる?」

「今調べます・・・ 担当調査はほぼ完了で残りは資料作成となっています。 あと新規で1件入ってます。 飼い猫の保護ですね」

「猫ですよ、どうしますボス?」

井出の言葉を耳にした途端、苦虫を嚙み潰したような表情をする進次郎。 探偵人生30年の中でもペットの保護ほど困難なものはない・・・ 渡り鳥並みの行動力を持つインコ、噛まれれば即死の猛毒を持つコブラ、革グローブさえ意味をなさないヤマアラシの捕獲には散々手を焼かされた。 尻にピットブルがくっついた状態で病院に運ばれたことも。 そして猫・・・ 進次郎は極度の猫アレルギーを持っていたのだった。

「はぁ~、猫か・・・ 井出ちゃん?」

「あっ、俺月末まで埋まってるんでダメですよ」

「・・・茜ちゃん、報酬ランクは? BやCだったら櫻子が戻るまで保留でいいよ」

「Sです。 100万です」

「ひ、100? 何かの間違いじゃないのか?」

「いえ、確かです。 依頼人は四葉物産会長、四葉紫月様です。 電話で本人確認取らせていただきました」

総合商社の四葉物産は世界約60ヵ国、110拠点に支部を置く日本の石油、鉄鋼、食品、物流、IT事業まで幅広く展開する国益を担う巨大企業の一つである。

「ボス~? まさか初耳ってこと・・・ ないですよね?」

井出が冷めた目を進次郎へ向けた。

「その話が来たのはいつだ?」

「一昨日に依頼、昨日締結済みです・・・ あの~、いい加減依頼メール確認する習慣付けてもらえませんか? ずっと読んでませんよね。 ちょっといいですか・・・」

コツコツコツ・・・

茜はあきれ顔で進次郎の隣に立つと、リズミカルなタイピングで依頼リストデータを開いて見せた。 

「ここです。 念のためショートカット張っておきますので明日から忘れずにお願いします」

続けて茜はデスクに無造作に積まれた書類の中から、クリッピングされた一枚の紙をスッと抜き出した。

「これが本件の契約書と依頼者からの手紙です」

「ははは・・・ さすがは茜ちゃん、相変わらず出来すぎる!」

「そういうお世辞私には効きませんから。 いいですか、壁のボードには細かなところまでは書いていませんし、プライバシーに関する部分は依頼リストにまとめてありますので、ご自身でしっかり目を通していただかないとこ・ま・り・ま・す。 適当に判を押すようなことだけはお願いですからやめてください」

「はいはーい」

絶対に心に届いていない時の返しである。 茜の眼鏡の奥から刺すような視線を感じた進次郎は、焦る様子で老眼鏡を掛けると契約書に目を通し始めた。  

「どれどれ、Sなら急ぐ必要があるな・・・ 10歳の雄のシャム猫、名前は“ユキチ”・・・ ふっ、いかにもな名前だな。 で、特徴は鈴が付いた紫色のチョーカー、行方不明になって今日で一週間・・・ か」

ふと進次郎は自席で入力作業する茜に目をやった。 茜は前髪のある黒いロングヘアで常に首元にスカーフか幅の広いチョーカーを身に着けている。 さして気にも留めていなかったが、その時ばかりはやけに引っ掛かってしまった。

「そういえば、茜ちゃんもいつも首に巻きものしてるよね」

「はい。 それが何か?」

茜の眉が少し動いた。 いわば個性そのものであるファッションへの指摘は、特に細心の注意を払うべき質問の一つであろう。 反応を見て即座にフォローに入る進次郎。

「いやね、ここに添えられてる猫の写真見てたらどことなく茜ちゃんと雰囲気似てるな~ってね。 ははは」

「確かにそうかもしれませんね。 ボス、シャムって気難しい性格って知ってました?」

「・・・」

進次郎に残された手札はもうなかった。

「ところで茜ちゃん、ずいぶん猫に詳しいようだけど?」

「ええ、キジトラ飼ってますから」

「キジトラ? 聞いたことない名前だけどどこ産?」

「日本中どこにでもいるトラ毛の猫のことです」

「ああ、あれか・・・ 参考までに聞いておきたいんだが、猫の行動範囲は予測できたりする?」

「そうですね・・・ 猫は気まぐれと言いますが、帰巣本能があるので基本寝床へ戻ってきます。 縄張り意識が強い動物ですし、飼い猫であればまず知らない土地へ行くことはないかと」

「他には?」

「あと考えられるとすれば、行方不明の場合住処の居心地が悪くなったか発情期、もしくは事故に巻き込まれたかのいずれかがよくあるケースと言われています。 ですので本件はそれぞれの軸が交わる点を絞っていけば条件期間内での解決が可能なのではないかと。」

「・・・ふむ、合格だ!」

進次郎の目がギラリと茜に向けられた。 

「茜ちゃん、唐突で悪いんだが・・・ 明日代理調査へ行ってくれないかな?」

「ブッ!・・・ ち、ちょっとボス! いくらなんでも素人に探偵業は・・・」

デスクに拭きこぼしたコーヒーをティッシュで慌ててふき取る井出。 一方、茜は目を見開いたまま固まっていた。ハトが豆鉄砲を食らうとはまさにこのことだろう。

「・・・は? 今、何と?」

ゆっくりと進次郎へ顔を向ける茜。

「だから、櫻子の代わりに君が調査へ」

「・・・嫌です! 絶対嫌っ! ていうか無理です! 私探偵資格も何も持ってませんし、調査なんてそんなの無理無理! あははっ! 何言ってるんですかボスったら~」

珍しく慌てふためく茜。

「Sだぞ? 3日以内に保護できれば100だぞ100。 それだけあればこの事務所もリノベーションできてだなー・・・」

一方的に語り始めた進次郎の皮算用に真っ向から反対する茜。 まるで痴話喧嘩のようなそのやり取りを頬杖を突きながらニヤニヤ傍観する井出。 若く華のある茜がここに来てから事務所はパッと明るく活気づき、日々潤滑油のようにメンバーのアシストに奔走する姿を井出は兄のように優しく見守るのだった。

「さてと! もう一回行ってくるとしますか~。 茜ちゃん、コーヒーごちそうさま。」

「ええっ! ちょっと井出さん! 助けてくださいよ」

「できれば俺が代わってやれたらいいんだけど・・・ 明日は娘の運動会なんだよ。 ゴメンな」

「決定だな」

「ち、ちょっとボス! 何勝手に決めてるんですか!」

「じゃ、頑張って!」

井出は含み笑いをしながら再び出て行くと、何とも言い難い重たい空気が事務所に漂った。 進次郎は気まずくなったのか、茜に背を向け刑事ドラマさながらにブラインド越しの夕日を眺めている。 一度は激しい抵抗を見せた茜だったが、人一倍強い責任感とまだ見ぬ自身の新たな期待がゆっくりと背中を後押した。

「・・・調査書類の作成は後日でいいんですよね?」

少々憮然に発したその言葉に、進次郎は飛びつくように反応してきた。

「ああ、勿論だとも! 調査と言っても今回は現場周辺で猫を探すだけでいい。 足取りを掴めさえすれば後はどうにでもなる。 報酬はしっかり出すし、終了後は休暇を取ってくれていい。 ご褒美としてディナーでもどうだ?」

「ディナーは結構です。 またファミレスでしょうし」

「さすが茜ちゃん! 我が事務所の女神!」

高揚する進次郎はコーヒーを飲み干すと腕時計の針をじっと見つめ、思い立った様子で立ち上がると、デスク横のスタンドハンガーに掛けてあったジャケットと帽子を手に取った。

「ボス、どこへ?」

「ちょっと櫻子の様子を見てくる。 今日はもう帰ってもらって構わないから戸締りだけはしっかり頼むよ。 あと、明日は調査の説明をしたいからいつもより1時間早く出社してくれないかな」

「わかりました。 お疲れ様でした」

 

その夜、珍しく早い帰宅ができた茜は、ベランダに鉢植えされたレモンの苗木に水をやりながら、遙か前方に広がる眩い都心の明かりをただ呆然と眺めていた。 

「ボスと櫻子さんの気持ち優先で受け入れちゃったけど・・・ 私にうまくできるかな・・・」

下げた目線の先には、茜を心配するかように身をすり寄せる飼い猫弥七の姿があった。

ニャア・・・

 

 

翌朝。 予定時刻から更に30分早く事務所に到着した茜は、神棚の水を替えポットの湯を沸かしながら室内の掃除をはじめた。 それから程なくして進次郎が入ってきた。

ガチャッ。

「先を越されたか~」

「あっ、おはようございます、ボス」

「おはよう・・・ 今日はちょっと寝不足だから機嫌悪いかもよ。 すまないが濃い目のやつを一杯頼む。 ふわぁ~・・・」

「はい」

進次郎はスタンドハンガーに帽子とジャケットを掛けると、寝ぼけ眼をこすりながら椅子に腰を落とした。

「ところで、櫻子さんの様子はどうでした?」

「うん、肘や膝に巻かれた包帯が痛々しかったが元気だったよ。 膝は明後日手術でその後一週間の入院だそうだ。 あと、茜ちゃんが代行してくれることを話したら驚いてたよ。 迷惑掛けて申し訳ないって」

「そうですか・・・ どうぞ、濃いめにしておきました」

「ありがとう。 これが飲み終わったら今日の計画を立てよう」

「わかりました」

 

進次郎の横に椅子を並べ、ペンとメモ帳を手に調査方法を聞き入る茜。 高い行動力と多角的な目線、それに加え迅速な判断力と強い精神力を強いられる探偵業の過酷さをその時はじめて知るのであった。 そして茜に対する懇切丁寧な指導と時折身を案じて投げかけてくる言葉に、進次郎の器量の大きさを感じ取っていた。 

「探偵業って思っていた以上に大変なお仕事なんですね・・・」

進次郎はいつになく真剣な面持ちで語り始めた。

「名を隠し、姿を隠し、気を隠して人の内側に潜り込むのが俺たち探偵の生業なんだ。いるようでいない、つまりはゴーストみたいなものなのさ。 世間じゃ何かと色眼鏡で見られがちだが、そんな探偵にも人に誇れる部分はある。 それは俺たちにしか見えない、心に闇を持つ人間に手を差し伸べることができるということ。 俺はそれを誇りに今日までやってこれたんだよ・・・ 」  

「心の闇に手を差し伸べる・・・ とても素敵なことだと思います」

「分かってくれて嬉しいよ。 ついでに言うと探偵は危険な調査も多く、警察などとは違って武器の保持などは認められてないまさに命がけの仕事なんだ。 まあ、茜ちゃんの調査はそういった心配は一切ないから安心してくれ」

そう言って新次郎は事務所の棚からいくつかの道具を手にし戻ってきた。

「今回必要ないかもしれないが、念のためこれを持って行くといい」

デスクに並べられたのはカメラ内蔵腕時計と小型双眼鏡だった。 

「分かっていると思うが、これから向かう邸宅周辺は高級住宅街だ。 この種のエリアに踏み込む際は、できるだけ長居しないように気を付けてくれ。 不穏な動きをしている人間がいれば即通報されてしまうからな」

「はい」

「今日は保護までできれば御の字だが、そう容易くできるものではないからまずは猫・・・ ユキチの居所を絞ることに徹してもらいたい。 連絡は進展があった時だけでいいから」

「わかりました」

進次郎は茜に顔を向けると頭のてっぺんからつま先まで見渡した。 その日の茜は白いブラウスにカーキ色のショートパンツ、足元は赤いパンプスだった。 白く伸びた生足に一瞬目を奪われた進次郎だったが、その時ばかりは理性が勝った。

「茜ちゃん、今日のその服装どういう設定だ?」

「設定と言いますと?」

「今回の対象は猫だ。 猫からすれば服装などどうでもいいことだが、調査現場では人目にも気を配る必要がある。 目立つ服装は厳禁だ」

茜は自席に置いてあったスポーツバッグを持ってくると、ジッパーを開きランニングウェア一式を進次郎に見せた。

「これでどうでしょう。 これなら住宅街を走っている人に成りすませますし」

「さすがだ」

「ではこれから着替えてきます・・・ あっ、日下部さんが来られたら少し待ってもらえるよう言ってもらえますか」

「はいよ」

そう言い残し茜はロッカールームへ消えていった。

 

ガチャ。

しばらくして無言で入ってきたのは日下部涼だった。 寡黙な日下部は必要以上に言葉を発することがない、長身でぎょろっとした目を持つ少々風変りな男だ。 かつて公安に所属していた時は、現場で幾度となく進次郎と衝突を繰り返してきた言わば犬猿の仲だったが、ある事件を境に友情が芽生え親交を持つようになった。 そして5年前に進次郎に誘われここへ来てからは、公安や警察とのパイプ役として活躍しているベテラン探偵である。 広げられた新聞の向こうの進次郎に挨拶することなく、日下部は茜のいるロッカールームへ荷物を預けに消えていった・・・ 

「きゃあっ!!」

と突然茜の悲鳴が響き渡ると、血相を変えた日下部が勢いよく飛び出してきた。

「何だ? 何が起きたんだ? おお日下部ちゃん、おはよう!」

ようやく日下部に気が付いた進次郎。 そしてしばらくして着替え終えた茜が真っ赤な顔でロッカールームから出てきた。

「ちょっとボス! さっき待ってもらうようにって言いましたよね!」 

「俺が悪いの? んも~、日下部ちゃん黙って入ってこないでよ~」

日下部は額の汗をハンカチで拭きながら、壁のスケジュール表を食い入るように見ている。

「日下部さん、おはようございます・・・」

「お、おはよう・・・」

はじめて聞く日下部の挨拶に二人は驚いた。

「しかし、茜ちゃんは何着ても似合うね~。 うんイケてる! 日下部ちゃんも見てやってよ」

「・・・いいんじゃないかな」

人間関係にはめっぽう不器用な日下部だったが、一方で背中でモノを見ることのできる器用な人間でもあった。

腰元まである長い髪を後ろに束ね、白いパーカーとグレーのランニングウェアに身を包んだ茜がそこにいた。 肌の露出は抑えられているものの、アームカバーとランニングタイツ覆われたメリハリのあるボディシルエットが進次郎をくぎ付けにした。

「・・・ボス、見すぎです」

「おっと、これは失礼。 美しいものはしっかり目に焼き付ける癖があってな・・・ さあ、支度が出来次第現場へ向かってくれたまえ。 検討を祈ってるよ茜ちゃん!」

「はい! では行ってきます!」

「おっと、コイツも持って行った方がいい」

進次郎は棚から小さなスプレー缶を取ると、茜に向かって放り投げた。 

パシッ。

「これは?」

「マタタビスプレーだ。 これを吹けば一度に大量の猫をおびき寄せることができるはずだ。 まあそれは最終手段と思ってくれ」

「ありがとうございます! では!」

茜はウエストポーチにすべての道具を入れ終わると足早に出て行った。 事務所には中年のオヤジ二人が残った。 

「ところで日下部ちゃん・・・ 見たの?」

「何を」

「茜ちゃんのお肌」

「・・・」

「教えてよ~!」

「・・・」

より一層寡黙を通す日下部亮だった。

 

続く・・・