Kitです。
節操のない理不尽で敵意ある言動に対しては徹底抗戦するが、それは目の前に対象があることが前提だ。某有名タイトルに関わっていた当時、不意打ちとも言える不特定多数からの誹謗中傷というものは数々受けてきた。基本的には「そういう考えもある」と割り切り流すことに努めてきたが、絵に対する好き嫌いの範疇を超えた、自尊心を破壊するようなコメントはやはり傷として残るものだ。
「なら見ないで」と言えるものなら直接言いたいが、そういう混濁した気持ちのムラは創作において最も妨げになるので、深く深呼吸し無理矢理切り捨ててきた。
ネット上に書き込まれた悪意ある言葉を目にした時の、あのサッと血の気が引く感覚は過去のものだがおそらく消えることはないと思う。
そもそも発言というものは、目の前にいる相手に感情を伝える行為であるはず。
文字が生まれやがてそれ単独で行き来できるようになり、今では感情よりも言葉が先行する時代になった。
こういった「使い方の違い」という点を理解すれば幾分衝撃も緩和されるものである。
自分を表現するアーティストは常人にはない驚異的な発信力を持っているが、反面非常に繊細、影響力があればあるほど脆いものなのだ。
それに加え、表現は仲間同士で作るものではなくすべては”自己完結”の行い。
つまりアーティストは絶対的な孤独を背負っているのである。
表現=自分自身を売りとする以上、行いに対する全ての決断を下せるのも自分自身。
剃刀の刃の上を渡っているような生き方ゆえ、心の強さ、持ち方ひとつで先が決まってしまう危うさを常に持っている。
そんな必死だからこそできるアーティストの行為に対し、見る者は周囲へ”心の声”を発するのではなく、まずは”自身の思い”として心に留めることが大切なのではないだろうか。
合掌・・・
Kit.