Kitです。

 

幼い頃、若い頃はよく空を飛んだり、好きなアイドルとデートしたりと非現実的な内容の夢をよく見たものですが、やがて年齢を重ねていくうちに夢は現実的なつまらないものへと変わっていきます。

その中でも特に見たくない夢の一つに、テストの夢というものがあります。

内容は決まって、突然高校に呼び出され、教室に入るといきなり中間か期末テストが始まるというもはや罰ゲーム

前日まで何もやってきていない自分は、出川哲郎ばりに「おいおい、聞いてないよ!」と慌てふためくという何とも可愛らしいものなのですが、見終わった後の心地悪さと言ったら悪夢そのもの。

高校生当時、クラスでトップ成績を維持するための、自分なりのプレッシャーが相当あったのでしょう。 私が精神科医でなくともそれが原因と断言できます。

 

今、学園モノの小説を書いているのですが、資料として見た学習プログラム(時間割)に目を通した瞬間、背筋がゾクッとしました。 「こんな過密だったっけ?」と。 

そう、紛れもないあの”テストの夢”を見たときの圧迫感だったのです。

そして思いました。 恐らく過去の私と同じように、日々プレッシャーを抱えながら学校生活を送る若者がいることでしょう。 そういう彼ら彼女らは大人になってから「テストの夢」でうなされることもあるでしょう。

もし、私と同じアートの道を目指そうとする”これからの若者”に助言を呈するなら、

「所詮テストなど進路のふるいとして在るだけで、自分が落ち着ける確固たる場所と無心で打ち込める分野があるなら、必ずや道は開かれるということ。 最も伸ばすべき才能、可能性を封じ込めてまで、”成績一番”という総合的トップを目指す意味などないのです」 と。 

 

一旦社会へ出てしまえば、学業で学んだことを生かす場などほぼないと気付かされるでしょう。

あるのは人の意識と時間の”うねり”。 乗るか飲まれるかはあなたの持つ情熱次第。

 

若者よ、恐るるなかれ。

Kit.