Kitです。

絵で表現する。
文字で表現する。
言葉で表現する。
どれにおいても不可欠なこと、それはベースとなる物語の中心にいるかどうか。
ただいるだけではなく、隠れて見えない場所も自ら覗きに行かなくてはならない。
その世界に生きる人物と対峙し、繋がりを辿り徐々にコロニーを形成していく。
そうすることで、物語は広がり、味という深みをもっていくのであろう。
私は30歳になるまで、小説という表現作品に手を出すことはなかった。
厳密にはそれまでに数冊購入し読み始めたまではいいが、ものの数ページで脳裏に浮かんでくる人物像、情景が、文字の持つイメージと噛み合わなくなってくるのだ。
つまり自分自身がクリエイター、アーティストであることで、イメージの衝突が起きているということ。
それ以来、「前提として作家の志向に沿う、あるいはその作家自身を受け入れていない限り、その世界に没頭、堪能することはきっとできないであろう」という、後付け理由で小説を拒んできたように思う。
今、自分自身で物語を作るようになって初めて、「物語に引き込みたい」「楽しんでもらいたい」という、これまでの逆の立場で苦しみを味わうとは・・・
人生は、時折そんな教訓じみたことをしてくれるから面白いのです。

アーサー・C・クラーク、フィリップ・K・ディック、テッド・チャン・・・ そしてらもさん。
素晴らしい世界をありがとう。

鉄腕学園Z、着々と進行中です。
Kitでした。