Kitです。

 コーヒーは香りの立つ軽めのボディで渋みの強いキリマンジャログアテマラと決まっている。勿論、挽き立てのブラックに限る。 自室に籠り、JAZZを聞きながらコーヒーの香りに包まれながらの作業はまさに「最高の時間」といってよい。 別にハードボイルドを気取っているわけではない。 ジジイの称号授与が近づくとそういう嗜みが自然と身に付くのである・・・

 モノづくりは、そういう空間作りから始めないといけないと常々謳ってきた。 しかし職場といものは常にフラットな考えが前提。 アーティスト独特のこだわりといった内面的な主張は中々理解されないものだ。 と言いつつも、「私はプロフェッショナル」であることを理由に、自作のパーテーションでデスクを要塞化しているのは仲間内では有名な話。 かつてのPIXERのように、アーティストの好みでデコレートできる個室というものがあったらな~と常々思う。(それはそれで仕事にならないという人が大半かと思うが)

 勝手に自身の名言としてきた言葉の一つに、「途中の絵を見られるのは着替えを見られることと同じ」というものがある。 14年ほど昔だったか、やたらと様子を伺いに来るディレクターがおり、理由を尋ねると「どうしても気になって」とのこと。 そこで思わず出たのが「あなたは着替えを見られたいのですか?」という言葉。 「あ~、分かる」と、そこからはピタリと来なくなった。 あと、「簡単でいいから、サラサラって描いてみて」という、低姿勢で依頼しつつも最速で要求内容は高いという、遠慮も何も感じない不躾な発注をしてくる立場を利用してくる人間がいるが、アーティストはレベルの度合い関係なく要素が全て揃った100%でなくては納得して見せられないのだ。 いや、表現である以上見せるべきではないのだ。 

そういう環境下で長年働いてると、鍛えられているのか慣れているだけなのかさっぱり分からなくなってしまう。 会社組織とはそのようなものであることを理解しておかないと、真面目に付き合っていたら神経をすり減らしてしまうのである。

 そんなこんなで30年近く業界にいる身としては、幸せの形が何たるかがはっきりした以上、残り後半戦は冒頭にあるような環境で悠々自適に絵を描いて生きていきたいなと、しみじみ思うわけであります。

 Kitでした。