Kitです。

「鬱」という病は、働く人の現代病の代表格であることは言うまでもない。 これまでも何人もの同僚、仲間がそれに侵されていくのを目にしてきた。 「ただ辛い」「やる気が起きない」「消えたい」という、精神や体調に変調をきたすものらしいのだが、当事者以外にとっては「単なる怠け」と囚われがちで、理解し合えない両者の溝は時として社会問題としても扱われる。

「そのような病は無縁だ」と豪語してきた私も、実は昨年秋と冬に体調の異常を経験したことがある。 内容はあえて伏せるのだが、それは見えない場所で私の自尊心が深く傷つく行為が行われていた。 それは「結果としてそうなってしまった」のかもしれないが、その時は甚く傷ついた。 それを目にした時、一瞬頭がクラっとしたのを覚えている。 それから発熱があり、倦怠感を感じた私は仕事を切り上げ自宅へ帰った。 食欲もなくその日は風呂だけ入ったのだが、全身に電気が走るような違和感。 蕁麻疹だった。 その時「あ、これか!」と、精神バランスが崩れて起きる病を身をもって知った。 そしてそれは一ヵ月ほど続き、二度目も全く同じようなパターンで発症した。「絶対に通院だけはしたくない」と自力回復の道を選び、改善策でもある問題に至る原因の追究を行った。 だが、すぐにそれは意味のないことと知る。つまり外的要因の大きさ問わず、結果それに打ち負けたのは自分なのだと。 自身の器がそれを受け入れる大きさになかったこと、それ以前に受け流せなかった自分を恥じた。 その”受け流す”考えは、それまでの避けられるパンチでも一回もらっておいて倍返しにするファイティングスタイルだった自分にとってはいい”気付き”だった。 病が「全ての事に対し受け入れすぎだよ~」教えてくれたような気がする。

これから向かう世界は”強い自分”と大きな”孤独”との闘い。 生き延びるためにはそういう自分自身への”許し”が重要なのだと知ったお話でした。

Kit.